バルナバとパウロはキプロスの総督に宣教した後、小アジア本土に向かい、パンフィリア州のペルゲに上陸しました。そこから北上してピシディア州のアンティオキアに到着しました。
この町は紀元前300年頃シリア王が建設した町ですが、国境の要塞都市で、ユダヤ人を多数入植させました。紀元25年以降はローマ領でした。パウロには一つの野心というか、志がありました。キプロス宣教のように、家族、友人、仕事の上での自然の結びつきや会堂を通して存続している結びつきなどで道を開くのではなく、初めて知らない人々に向かってイエスのことを宣教するという厳密な伝道をすることでした。ヘレニズム文化の普及した大都市への伝道を目指してアンティオキアに向かったのです。

 パウロとバルナバは安息日の礼拝にユダヤ教の教師として参加し、奨励を依頼されました。パウロは出エジプトの出来事から説き明かし、イスラエルの歴史を概観して、民の救いに神がどう関わって下さったかを見ていきます。神は一つの恵みの御業からさらに別の御業へと導かれ、ついにイスラエルの歴史の頂点である王国建設とダビデ王とその子孫を顧みるという約束に到ります。そしてダビデの子イエスの出現に進みます。旧約聖書の中心思想は、思い起こすことすなわち想起です。

 イスラエルの歴史は神の特別な恵みの賜物そのものであり、それはイスラエル民族が絶対に忘れてはならないことです。我々のメンタリティも同じです。旧約聖書以来の神の救いの歴史が大きな前提としてあって、成就としてのイエスの到来があるのです。現在は過去の上にあり、未来をあとに控えています。神の歴史は続いている・・・我々はその一端に生きる光栄を感謝して、歴史を見据えて生きたいと願います。

                              



使徒言行録13章13〜25節
歴史は続いている